人文・法・経済科学部同窓会創立70周年にあたり
人文・法・経済科学部同窓会
会長 高木 裕

ウクライナ戦争とコロナ禍の長期化は世界に暗い影を落とし、地球環境も温暖化の加速によって、ますます劣悪化し、依然として暗いトンネルを抜け出せない状況です。貧困や飢餓をなくす、安全な水の供給、クリーンエネルギーの実現等々、SDGsの目標は遠のく一方に見えます。ますますグローバル化する諸問題はわれわれ一人一人の生活に大きな影を落としています。否応なく、われわれも未来を見すえ、さまざまな課題に向き合わざるをえない時代に立っています。暗い話題の多い昨今ですが、昨年のサッカーワールドカップでの日本選手の活躍はそこに一条の光を差してくれました。とりわけ私には、スペイン戦での三苫選手の奇跡の一ミリは、一服の清涼剤に思えました。
さて、新潟大学は1949(昭和24年)年に創立され、来年2024年(令和 6 年)に創立75周年を迎えます。新潟大学人文学部(人文科学科と社会科学科の 2 学科)は開学と同時に創設され、それから 4 年後1953(昭和28年)年人文学部第 1 期生が卒業し、早速、当時の人文科学科を中心に同期会が発足しました。それが 3 月20日と記録にありますので、この会報誌「青松74号」がみなさんに届く頃が、まさにそれから70年目の節目にあたります。「同窓会50年の歩み」「青松60周年記念号」などを読むと、創設当初から、西大畑世代の諸先輩がさまざまな困難を乗り越えて、今日の同窓会の礎を形成し、発展を担われてきたことがよくわかります。その先輩方に敬意を表すと同時に、新しい同窓会の方向にも目を向けて参りたいと思います。
私が人文学部に入学したのは1969年です。西大畑と五十嵐の両キャンパスを経験した世代です。入学時は五十嵐地区への統合移転反対の学生運動のまっただなか。 3 年生になって、五十嵐へ学部も移転することになり、恩師の号令のもとで、研究室の大移動を手伝ったことを覚えています。私が卒業したのが1973年 3 月。ちょうどそれから50年が経ちます。当時、大学正門前を過ぎると、キャンパス前には砂地に広げた一本道だけがありました。いまでは隔世の感があります。一本道は少し寂しいイメージですが、私の世代の同窓生が共有している記憶像ではないかと思います。大学キャンパスについては、70年間、それぞれの世代で異なる固有のイメージがあり、それにまつわる思い出もあることと思います。本年 7 月 8 日の70周年記念総会を同窓生のみなさんがそれぞれの思い出を持ち寄り、語り合う、一つの契機にしていただければ幸いです。